【留学体験談】「初海外・初留学」飛び込むチカラ① 留学のリアル

私の誕生日にサプライズでご飯に連れて行ってもらった時の写真

「海外留学に興味はある!でも私にできるかな‥?」「留学できる人はきっと優秀な人だけだよね‥。」

いいえ!!留学は特権ではありません!

「母子家庭でも、不登校の経験や精神病を患ったことがあっても、留学できます!自分の思い描く人生をいつからだって作ることができます!」


皆さんこんにちは!現在、AffinityでインターンをしているKanaです。

私は現在、イギリスのサセックス大学で国際関係と開発学を学んでいます。サセックス大学は、開発学分野で世界的に高く評価されており、ハーバード大学やオックスフォード大学を上回るランキングを誇っています。そんな世界トップレベルの大学に留学している私ですが、イギリスに来るまで海外経験は一切なく、留学も今回が初めてでした。

冒頭でお話ししたのは、私が留学前に感じていたこと、そして今、強く感じていることです。

「留学できるなんて、きっと裕福な家庭に育ったんでしょう」
「高校時代から成績優秀で、さまざまな機会に恵まれていたんだろうな」
そんなふうに思う方もいるかもしれません。

しかし私は、3人兄弟の末っ子として母子家庭で育ちました。中学時代は不登校となり、精神的にも苦しい時期を過ごし、高校はチャレンジスクールに通っていました。留学するためには、まず母を説得する必要があり、そのために費やした時間は2年にもなります。

それでも私は、自分の未来をあきらめたくなかった。悩みながらも、自分の手で道を切り拓き、「留学」という夢を実現しました。

このブログでは、そんな私の経験を一つのストーリーとしてお届けします。読んでくださった方が、自分の人生を思い描くきっかけや、「なりたい自分」について考えるヒントになれば嬉しいです。

自己紹介


改めまして、イギリスのサセックス大学に正規留学中のKanaです!

私は現在、イギリス・ブライトンにあるサセックス大学で国際関係と開発学を専攻しています。2025年6月現在、大学1年目の課程を修了し、9月から2年生として新学期がスタートします。

高校卒業後は日本の専門学校に3年間通いながら、国際関係の基礎を学びつつ、留学に向けた準備を進めてきました。そして、もっと深くこの分野を学びたいという思いから、イギリスへの正規留学を決意しました。

なぜ私がサセックス大学を選んだのかについては、また別の記事で詳しくご紹介したいと思います!

不登校だった中学時代 チャレンジスクールに通った高校時代

中学~高校

簡潔に私のこれまでの状況をお話しすると――

私は小学2年生のときに両親が離婚し、中学1年生で父が病気で他界しました。家庭や学校での経験が心の傷となり、中学1年生の終わりには精神疾患を患い、不登校になりました。その後、治療のために入院と療養を続けながら、中学3年生で学校に復帰しましたが、安定せず入退院を繰り返していました。

「普通の高校で普通の生活を送りたい」と受験勉強をしましたが、「完璧でいたい」という理想と「思うようにできない」という現実のギャップに苦しみ、不登校気味に。最終的に、同じような経験を持つ子どもたちが通うチャレンジスクールへの進学を勧められ、そちらに通うことを選びました。

高校~専門学校

私が通っていた高校は、定時制の3部制(朝・昼・夜)で、3年間での卒業が可能な学校でした。授業は自分の関心に合わせて選ぶことができ、服飾・自動車・モノづくり・ニュースポーツなど、興味のある授業を取りながら、自分のペースで学ぶことができました。

しかし、高校1年目の頃はまだ毎日通学することが難しく、「私はどうなりたいんだろう」と理想と現実の間で悩み続けていました。

高校3年生になると、新型コロナウイルスが流行し、先の見えない不安の中で「日本の大学に行きたい」という漠然とした気持ちと、「一人での勉強に限界を感じる」という思いが生まれました。

当時は国際関係に興味があり、「途上国」「世界を知る」「英語を学ぶ」といったキーワードが自分の中で引っかかっていました。そういった内容を学べる大学を日本国内で探してみましたが、多くの国際関係学科は地域ごとの研究に分かれており、私が本当に学びたかった「世界の構造」や「不平等・パワーバランス」など、全体的・横断的に国際関係を学べる環境はなかなか見つかりませんでした。

また、当時はフランス語にも興味があり、「英語とフランス語の両方を学べる大学はないだろうか」と考えていました。というのも、いくつかの悩みを抱えていたからです。

  1. 英語だけで将来やっていけるのだろうか?(バイリンガルが当たり前の時代に、英語だけで武器になるのか)
  2. 英語とフランス語の2か国語を話せれば強みになるのか?(言語だけでなく、背景知識もなければ意味がないのでは?)
  3. 日本の大学で4年間過ごしたら、自分はだらけてしまわないだろうか?

そんなことを考えていた頃、日本外国語専門学校(JCFL)のパンフレットが届きました。そこに紹介されていたのは、唯一の3年制学科で、英語で歴史を学びつつ、1年目にスペイン語、2年目にフランス語、3年目にアジアの言語も学べるという、まさに私の「やってみたい」が詰まったプログラムでした。さらにボランティアの機会もあるとのことで、直感的に「ここだ!」と思いました。

JCFLのオープンキャンパスで国際関係のプレ授業を受けたことで、その想いは確信に変わりました。「この学校で、この学科で、この先生から学びたい」と心から思い、入学を決めました。

運命を変えた専門学校での3年間

何もついていくことのできない専門学校1年目

初めて「学ぶことって楽しい」と感じたのは、あの日のオープンキャンパスでした。あの体験があったからこそ、私は高いモチベーションを持って日本外国語専門学校(JCFL)に入学しました。

とはいえ、入学当初の私の英語力は、英検準2級に合格するかどうかというレベル。授業ではアメリカの高校で使われる歴史の教科書を使っていたのですが、1行の中に知っている単語がほんの少ししかない、そんな状態でした。英語だけでなく、国際関係に関する知識も乏しく、宿題を終えるのに4時間以上かかることも。でも、「わからないけど、わかりたい」という思いだけで、必死に食らいついていました。

それでも時々、「もう無理かもしれない」と思うことがありました。そんなある日、当時の英語の先生(セルビア出身の先生)に「私はどうしたらいいんでしょう」と相談したところ、先生はひとこと、こう言ってくれました。

"Step out of your comfort zone."

その言葉の意味をすべて理解できたわけではありませんが、先生がその言葉を丁寧に付箋に書いて手渡してくれたことは、今でもはっきりと覚えています。

それをきっかけに、「どうせ無理」と思う前に、自分にできることを全部やってみよう!と考えるようになりました。英語力も知識もまだまだだったけれど、後悔しないために挑戦することを決めました。

そんなとき、学校の掲示板でスピーチコンテストの募集を見つけました。自信はなかったけれど、思い切って応募してみることに。学科代表には選ばれませんでしたが、後日、担当の先生から「全国専門学校スピーチコンテストに学校代表として出てみないか」と声をかけてもらいました。

英語力は十分ではありませんでしたが、国際関係に対する情熱だけは誰にも負けないと思っていたので、それが先生に伝わったのかもしれません。

私はすぐに「私でよければ、ぜひやらせてください!」と返事をし、6分間のスピーチ原稿作成・暗記・プレゼンの練習に取り組みました。その結果、特別賞を受賞することができました。その後のTOEICでは100点UPさせることにも成功しました。

英語力も知識も自信もなかった私ですが、「step out of your comfort zone(自分の心地よい場所から一歩踏み出してみよう)」という言葉が、私の考え方を根本から変えてくれました。

「自分には無理」と決めつけず、とにかく挑戦してみる。その姿勢こそが、自分の可能性を広げる第一歩だと、私は身をもって学びました。そしてその考え方は、今も私の大切な信念として生き続けています。

進学?就職? 進路にぶつかった2年目

私が通っていた専門学校では、ほとんどの学生が卒業後すぐに就職する環境にありました。友人やクラスメイトたちも就職活動を始める中で、私の中にふと「進学」という選択肢が浮かびました。

そのきっかけの一つが、1年目の国際関係の授業で学んだラテンアメリカ地域、特にハイチ共和国との出会いでした。ほとんどの国がスペイン語を話す中、唯一フランス語を話すハイチ。ラテンアメリカで初めて黒人による国家として独立した歴史を持ちながら、今も世界最貧国の一つであるという事実が、強く印象に残っていました。

その年の冬、「ハイチ大統領暗殺」と「大地震発生」という2つの重大なニュースを目にしたとき、私は衝撃を受けました。「国際関係を学ぶ自分が、何も行動しなければ、私は何のために学んでいるのだろうか?」という疑問が胸に湧き上がり、行動に移すことを決めました。

学科の先生やクラスメイト、先輩たちに協力をお願いし、ボランティア団体「zanmi(ハイチ・クレオール語で“友達”)」を学校内で立ち上げました。「支援する側/される側」という関係性ではなく、遠く離れた“友達”として関わるという想いを込めて名付けた団体です。

その後、先生方のサポートを受けながらハイチ大使館を訪問し、大使ご本人からハイチの文化や現状についてお話を伺いました。また、ハイチ産のコーヒーやチョコレートを扱う企業に連絡を取り、学校内イベントで代理販売を実施。ハイチの文化を知るきっかけをつくりながら、収益は募金として寄付するなどの活動も行いました。

活動の中で、さまざまなNGO団体の方々と対話する機会にも恵まれました。その中で耳にしたのが、「NGOの最終目標は、我々の活動が必要なくなること」という言葉です。つまり、最終的には現地の人々が自らの手で社会を築き、外部からの支援を必要としない状態を目指すという考え方です。

理屈では理解できても、私は心のどこかで引っかかるものを感じていました。
国際関係の授業や、ハイチ大使へのインタビューを通じて、「ボランティアがなくなれば、すぐに貧困に逆戻りしてしまう現実」や、「支援が途絶えれば命を落とす人がいるという事実」に触れ、頭では理解しきれない、複雑な感情がこみ上げてきたのです。

グローバル化が進んだこの社会で、“支援する側/される側”という一方向的な関係で終わってしまっていいのだろうか?
お互いに影響を与え合い、対等に未来を創っていける関係性は築けないのだろうか?

そう考えたとき、「私は就職するべきなのだろうか?」という問いが頭に浮かびました。それ以上に、「この問題についてもっと深く学びたい」「不平等の構造を根本から理解し、変えていく方法を探りたい」という気持ちが強くなり、世界レベルの教育で学びたい。私の問いに、答えを見つけたい。そう思って、留学という選択肢を真剣に考え始めました。

留学は、それまでの私の人生の中に一度も存在していなかった選択でした。しかし、兄が英語特待生として日本の大学から全額免除でオーストラリアへ短期留学をしていた経験を知り、「兄にできたなら、私にもできる!」という想いが芽生えました。それが、私の人生に「留学」という選択肢が加わった瞬間でした。

留学の夢を叶えるための奮闘 

母を説得

私は、母子家庭で3人兄弟の末っ子として育ちました。私が小学生の頃から、母は2〜3つの仕事を掛け持ちし、朝から晩まで働いてくれていました。専門学校に通っていた頃も、最終学年の学費すら母に借りてもらっている状態で、「留学したい」と思っても、最初はそれを叶えるなんて到底無理だと、どこかで諦めていました。

それでも、心の奥では「諦めきれない」という気持ちがあり、ある日勇気を出して母に「留学したい」と伝えました。すると返ってきたのは、「そんなお金はない」という一言でした。…当然の返答だと思いつつ、「でもね!」と粘ることすらできませんでした。

それでも諦めきれず、毎日毎日、ネットで留学情報を調べました。
「エージェント経由?奨学金?…何があるの?どこの国がいいの?というか、英語で何書いてあるかわからない…」
朝起きてから、通学中もお風呂の中でも、ひたすら検索し続けていました。

「イギリス留学 学費」と検索すると、出てくるのは「年間400万円以上」という現実。奨学金も、「高校生対象」「日本の大学生対象」がほとんどで、「専門学校卒業予定」の私が応募できるものは当時1つも見つかりませんでした。唯一あったのは、JASSOの貸与型奨学金(月額支給/返済必要)で、総額でも約450万円。どう考えても足りません。

それでも諦めず、私はことあるごとに母に話しかけました。
「ねぇ、海外の大学ってね…」「留学したいんだけどさ…」と、あえて軽く話すようにして、少しずつ“刷り込む”ように。

何度も無視され、相手にされなくても、ある日、「マレーシアの大学は1年100万円以下で行けるらしい」という情報を見つけて、すぐに母に伝えました。

「3年で卒業できて、最近はレベルも高くなってきてるし、途中からイギリスやオーストラリアに編入もできるって!」

すると母が初めて、「それなら…いいかもね」と言ってくれたのです。
イギリスの400万円に比べれば安く感じたのかもしれません。それでも私たちの家庭にとっては大きな金額です。でも、「本気で行きたい」「どうしても学びたい」という私の思いに、母が少しだけ折れてくれた瞬間でした。

その後は、どうすれば行けるか?に頭を切り替え、マレーシアやイギリスの大学を調べながら、学費の工面方法を探し続けました。

専門学校の最後の1年は、海外大学進学に特化した海外留学科へ転科し、英語の学習や出願準備に集中しました。その頃には、もう「就職」ではなく「進学」という目標に完全に舵を切っていました。

出願の時期になっても、母はまだイギリス進学に反対でした。それでも私は、どうしてもサセックス大学で学びたいという強い思いがあり、奨学金情報やエージェントのイベントに参加して、自力で情報を集め続けました。

最終的に、最初の1年分は祖母から借り、2・3年目は教育ローンを組んでもらうことで進学が決まりました。母には「残りの学費は私が生涯かけて必ず返すから」と約束し、卒業までにかかるすべての費用2000万円の借金を背負いながらイギリスに留学しています。

でも私は、その2000万円にはそれだけの価値があると確信しています。

この留学を決めるまでの2年間、とにかく情報を集め、自分は何をしたいのかを本気で考え抜きました。そして、今では「この借金に見合うだけの学びを絶対に得る」と心に決めて、1つも授業を休まず、全力で学んでいます。

きっと将来、自分が辛いときが来ても、
「でも、あの3年間には確かに価値があった」「人生にとって、あれは良い投資だった」と思えると信じています。

自信もなにもなかった私ですが、目標に向かって努力し続けた経験そのものが、自分自身を強くする力になりました。今、中学生や高校生の時の私には想像もできなかった場所で、自分の力で未来を切り拓いています。

学費

私は、自分でも「留学は無理かもしれない」と思いながらも、できる限りの準備と情報収集をして、母が納得できる材料を揃えていきました。具体的には、以下の3つの行動を続けました。

1.学費調べ、比較

2.奨学金調べ

3.教育ローン

1.学費調べ、比較

まったく何もわからない状態から、私は一から留学について調べ始めました。最初の検索ワードは、「国際関係 海外大学 有名」。本当にそれだけでした。

出てきた大学名をひとつずつ調べて、その大学で何が学べるのか、どんな授業(モジュール)があるのかを確認しました。興味を持てそうな大学があれば、リストに書き出し、次は学費のチェック

ただ、その時点では為替の仕組みもまったく理解しておらず、「現地通貨のポンドやドル」を日本円に換算することもできなかったので、まずは日本語のサイトで「〇〇大学 学費 日本円」といった情報をひたすら探していました。

今思えば、現地の公式サイトで現地通貨で金額を確認し、自分でレート計算する方が正確だったと思いますが、当時の私にはそれが難しく、とにかく“日本語で学費が書いてあるページ”を優先して見ていました。

そうして調べた大学の中から、

本当に自分が学びたい内容があるか(モジュールの中身)

学費や滞在費が現実的に払えるかを基準にして、最終的に5つほどに絞り込みました

2.奨学金調べ

留学にあたって、資金面の壁が一番大きく、そして一番時間をかけて調べた部分です。

奨学金には大きく分けて2種類あります:

  • 給付型(返済不要)
  • 貸与型(返済が必要)

英語では、貸与型の奨学金は「Scholarship」とは呼ばれず、Student Loan(学生ローン)に分類されますが、日本語ではどちらも「奨学金」と呼ばれるため、最初は混乱しました。


給付型奨学金(返済不要)

日本で最も有名な給付型奨学金は、以下ではないかと思います。

  • JASSO(日本学生支援機構)
  • トビタテ!留学JAPAN

また、私が探していて特に助けられたのが、県や市区町村が独自に出している奨学金です。

実際、私の地域では長期留学向けの無利子奨学金制度があり、そこで借りることができました。市役所などで「留学奨学金一覧パンフレット」などが置いてある(持ち出し禁止)こともあるので、確認してみてもいいかもしれません。

そして、留学を希望する大学自体が独自の奨学金制度を持っていることも多いです。特に成績優秀者向けや、特定の分野に関心がある学生向けのものがあります。最初に出願する学校の奨学金情報をしっかり調べることが、効率よく資金計画を立てるコツです!

私は、以下の順番で資金調達の可能性を調べました:

  1. 給付型奨学金(返済不要)
  2. 貸与型奨学金(無利子)
  3. 貸与型奨学金(低利子)
  4. 銀行や金融機関の教育ローン

正直、自分の条件に合う奨学金を探すのは時間がかかるし、ほとんどの情報は“自分で探しに行かないと出てこない”ことばかりでした。それでも、調べ続けていくうちに少しずつ道が見えてきて、「完全に無理ではないかもしれない」と思えるようになりました。

3.教育ローン

奨学金を調べる中で、最終的に選択肢に上がってくるのが「教育ローン」です。
その中でも特に有名なのが、日本政策金融公庫が提供している「国の教育ローン(教育一般貸付)」です。

この制度では、海外留学の場合、最大で450万円まで借りることが可能です。
審査はありますが、学生本人ではなく保護者が借りる形式になるのが一般的です。

  • メガバンク(三菱UFJ、みずほなど)
  • 地方銀行・信用金庫

なども教育ローンを取り扱っています。
私の印象では、地方銀行の方がやや金利が低めなケースが多いように感じました。

ただし、銀行系の教育ローンは、利息がつく上に返済期間が長期になるため、最終的に返す総額は多くなりがちです。


おすすめの資金調達ステップ(私の考え)

個人的には、以下の順番で検討していくのが現実的かつ経済的だと思います:

  1. 給付型奨学金(返済不要)
  2. 学校独自の奨学金(給付型・減免型)
  3. 貸与型奨学金(無利子 or 低利子)
  4. 「国の教育ローン」などの公的ローン
  5. 銀行の教育ローン(最終手段として)

教育ローンは「借りたら終わり」ではなく、数年〜数十年かけて返していくものなので、できる限り利息の少ない選択肢から検討するのがおすすめです。

大学選び

正規留学を考えるとき、最初にぶつかるのが「どの国?どの大学に行くか?」という問題だと思います。

私の場合、学びたい分野は「国際関係」でした(のちに、より具体的に「開発学」だと気づいていきました)。


大学選びのポイント:モジュール(カリキュラム)重視!

最初は「有名な大学」や「ランキング」で検索をしましたが、最終的に一番重視したのは、“モジュール(授業内容)に自分の興味があるテーマがどれだけ含まれているか”という点です。

たとえ同じ「国際関係学部」でも、大学によって

  • 歴史重視
  • 政治理論重視
  • グローバル経済重視
  • 紛争・人権問題重視 など

扱う領域やアプローチは全く違います。

ですので、「この大学は有名だから」ではなく、「この大学では、自分が学びたいことを具体的に学べるか?」を軸にモジュール(授業一覧)をしっかり読み込んで確認しました。


国選びも「学問の傾向」を意識する

実は、同じ分野でも国によって教育アプローチが違うこともあります。

その国の教育システムや、分野ごとの研究の強さにも注目すると、自分に合ったスタイルが見つけやすくなると思います。


最終的な判断軸:モジュールに「ワクワク」があるかどうか

私にとって最も大事だったのは、

「この授業、受けてみたい!」「ここでなら、自分の問いが深まる気がする」

という、直感的なワクワク感でした。

もちろん学費やビザ、言語などの現実的な条件も大切ですが、数年間学ぶ場所だからこそ、“内容が自分に合っているか”は最優先で考えたほうが後悔が少ないと思います。

最後に

今回は、私が留学を志すきっかけやどんな経験をしていても、いつからでも自分の描く人生を歩むことができるということをお伝えしました。

パート2では、サセックス大学を選んだ理由留学を通して変わった私の価値観の変化について、また生活の様子についても触れていきたいと思います!

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